2013/04/03

神経衰弱とコカ・コーラ

 
 リアーズつながりでもう1つ。
 (リアーズ復習しなきゃ…)

 前回の投稿に書いたとおり、リアーズは世紀転換期から1920年代にかけて高まった「心理療法のエートス」に注目している。

 そしてそれを広く近代化の「反作用」という文脈で捉えている。
心理療法のエートスは、文化の合理化――はじめてマックス・ウェーバーによって記述された、人間の外部環境にたいして、また窮極には内面生活にも系統だったコントロールを加えようとする、ますます大きくなる努力――に抗した反作用に根ざしていた。世紀の変り目には、官僚機構の「合理性」の鉄の檻が、教育ある豊かな人たちにさえ微妙に影響しはじめていた。多くが、自分たちになじみある自主性の感覚が掘り崩されていると、強烈な肉体的、情緒的、精神的経験から切り離されていると、感づきはじめていた。心理療法のエートスが、合理化によって負わされた傷をいやし、苛立つブルジョワジーの抑圧されたエネルギーを解放する約束をした。(Lears 1983=1985: 37)
 リアーズはその「反作用」の力学を、ブルジョワジーの生活実感の希薄化という観点から説明している。

 生活環境の激変が、彼らを「伝統」や「慣習」から引きはがす。
 そのとき生まれる「アンリアリティの感覚」。
 
 その「アンリアリティの感覚」、あるいは「合理化によって負わされた傷」は、しばしば「神経衰弱」(neurasthenia)となって表われた。
 神経衰弱(症)とは、19世紀後半のニューヨークの精神科医ジョージ・M・ビアード(George Miller Beard)が世に名を知らしめた病気である。
 ビアード(ベアード?)は当時、都市労働者たちに典型的に診られた過労による抑うつ症状や倦怠感などの多様な症例を包括的に表わす用語として、神経衰弱を用いた。

 神経衰弱症については、余裕がなくてなかなか追いかけられないけどとても掘りがいのあるテーマで、鈴木晃仁先生のブログでちょいちょい言及されています(たとえば、このエントリー)。
 気になります。
 
 前回の投稿で話題にした心理学・心理療法のブームは、当然、この神経衰弱の流行とも関係がある。
 神経衰弱の流行が似非セラピストの量産を招く素地をつくったし、あやしげな医薬品もそれにともない数多く出回った。

 私たちのよく知るコカ・コーラの原型となった飲み物もそうした商品の一種だった。

 コカ・コーラの歴史を丹念に追った労作で、著者のマーク・ペンダグラストはこう述べる。
コカ・コーラこそは、こうした激動の時代の、発明が次々に生まれた騒々しくも神経症的な新しいアメリカの産物だった。コカ・コーラも最初、人々の混乱と不安を種に金儲けを当てこんで売り出された数々の製品と同じく、『神経強壮薬』として売り出された。(Pendergrast 1993=1993: 21)
 よく知られるように「元祖」コカ・コーラには、微量だがコカの葉の覚醒成分が配合されていた(コカインですね)。
 その昂奮作用によって神経衰弱なんて払拭してしまおう、というわけだ。